諫早市

諫早市の災害の歴史


 長崎県が、常に台風の影響又は被害を受けてきたことは過去の災害をさかのぼれば明白であるが、諫早市もまた、この難を避けることが出来ない宿命に置かれている。
 いわゆる干拓によってできた平野は、水面よりも低位置にあるため高潮、津波を警戒しなければならず、一方、北に多良岳をもつ集落は小河川の氾濫と山津波を恐れなければならなかった。
 今、ここに昭和32年の7月の大水害を思い起す前に、もっと昔からの台風、大災害を振り返ってみよう。
 まず元禄12年(1699)の本明川の洪水では、溺死者487人を出し、人家田畑に大きな被害を与えている。
 享保5年(1720)夏の台風被害では、倒壊人家277戸、屋根を吹き飛ばされたもの1,565戸、倒木300本という被害を受け、同17年(1732)には、めい虫による大被害を受けたが餓死だけは免れている。
 その後、文化年間に3度の洪水、明治末年、大正初年にも豪雨におそわれ、昭和に至っては、定期便のように台風に見舞われた。その都度200?〜300?近くの豪雨も少なくない。
 このようにして、昭和32年の運命の7月25日が襲来したのである。
 昭和32年の年間雨量は、市内中央平たん部で1,800?である。この1/2の雨が7月25日を中心に24時間内に降ったのである。多良岳は各所に山崩れを起こし、支えきれぬ雨量は大小河川にあふれ、本明川になだれ込み、未曾有の大氾濫を起こし、一昼夜で、死者576人、行方不明者54人、重軽傷者1,547人を出した。
 人家、公共建物の被害を始め、農地、山林、道路、橋梁等の被害総額は98億1,134万円と計上されている。
 また、近年においても、昭和57年の長崎大水害、平成3年の台風19号、平成11年の集中豪雨などの数多くの被害に見舞われており、自然災害常襲地帯ともいえる地理的、地形的要因があるといっても過言ではない。
 なお、県下の穀倉地帯と呼ばれる諫早平野は、古来から代々に亘る干拓によって形成されたところであるが、この地帯を常におびやかしてきたものは、有明海の高潮である。一方南の橘湾沿岸においても常に高潮は警戒されている。  (※32年災害の死者数、被害額等については、諫早水害誌、5町郷土誌の集計による。)  

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