第36回長崎県消防ポンプ操法大会については、令和3年8月1日(日)に開催を予定しているところですが、感染防止対策をできるだけ実施し、感染のリスクを小さくして、訓練を実施するため、今般、スポーツ競技団体のガイドラインをもとに、県医療部局、医師のご意見をいただき、注意すべき参考事項を下記のとおり作成しました。各市町において参考にされるとともに、市町独自の取組みも追加され、感染防止対策と安全な訓練の両立を図っていただきますようお願いします。
※N-CHATへのリンクはこちらへ
https://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/hukushi-hoken/kansensho/corona_nagasaki/n-chat/
私の場合、きっかけはなく、気づいたら就職と同時に入団していた。
ただ、父も消防団に入っていたし、近所の人たちも消防団に入っていたため、幼い頃から、大人になったら消防団に入ることが当たり前だと思っていました。
入団したことで自分の成長を実感するとともに、尚一層の地域貢献を行っていこうと決心しました。
消防団では地域防災に協力してくれる事業所を募集しています。
「消防団協力事業所」として認められた事業所は、取得した表示証を社屋に提示でき、表示証のマークを自社ホームページなどで広く公表することができます。
事業所の認定には、各市町が認定する「市町(シルバー)認定事業所」と総務省消防庁が認定する「消防庁(ゴールド)認定事業所」の2種類あります。
近年、消防団員が減少し、平均年齢の上昇が進む中、大学生・専門学生等、若い力の消防団活動への参加が強く期待されています。
そんな中、各地で大学生、専門学生等を消防団員として採用しようという動きが広まりをみせており、平成23年4月1日現在(岩手県、宮城県、福島県は平成22年4月1日現在)で2,056人の学生団員が活躍しています。
消防団の活動には、女性ならではの活動も多く、たくさんの女性団員が活躍しています。
働いている方も、学生の方も、主婦の方も、多くの女性のチカラが消防団で輝いています。
2つの顔を持つことで一層魅力的に輝く、女性消防団員をご紹介します。
時津町は、鎌倉幕府以前から大村藩に属していましたが、一時、有馬貴純に領されたこともありました。その後、明治政府の廃藩置県により、長崎県に属しました。明治5年には、時津村・西時津村・日並村の3村が合併して時津村となり、同年区制の実施により5大区・3小区に改められ、区長が置かれました。明治12年7月郡制が施かれ、本町は西彼杵郡に属することになり、同22年4月1日町村制施行と同時に初代村長に菊池平一氏が就任しました。昭和26年12月1日に町制を施行して時津町と称し、第12代村長の横山貞雄氏が初代町長となりました。昭和34年1月15日、当時の村松村子々川(ししがわ)郷が編入され、昭和48年4月1日には横尾地区540世帯、2,049人が長崎市に編入されました。
町制施行後、昭和37年には都市計画区域の指定を受け、さらに昭和44年には新都市計画法により長崎都市計画区域に指定されました。このころから長崎市のベッドタウンとして人口が急激に増加しはじめました。また、昭和41年8月から昭和60年6月の19年間にわたって、時津港臨海工業地域として埋立事業を行い、工場の誘致により中小企業の町としての性格も有するようになりました。
近年、人口増加は緩やかな状態になりました。平成2年川平有料道路の開通をはじめ、臨海道路整備、国道206号線拡幅事業、同207号線整備、長崎空港への高速船就航などベッドタウンというより、交通の要衝として発展し、人や物の交流が盛んな町になっています。
人口(平成17年国勢調査):29,127人
世帯数(同):10,163世帯
面積(平成19年10月1日現在):20.70平方キロメートル