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防災を学ぼう
キッズコーナー
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溝上修平さん 公務員

私の場合、きっかけはなく、気づいたら就職と同時に入団していた。

ただ、父も消防団に入っていたし、近所の人たちも消防団に入っていたため、幼い頃から、大人になったら消防団に入ることが当たり前だと思っていました。
入団したことで自分の成長を実感するとともに、尚一層の地域貢献を行っていこうと決心しました。

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消防団協力事業所募集中!

消防団では地域防災に協力してくれる事業所を募集しています。
「消防団協力事業所」として認められた事業所は、取得した表示証を社屋に提示でき、表示証のマークを自社ホームページなどで広く公表することができます。 事業所の認定には、各市町が認定する「市町(シルバー)認定事業所」と総務省消防庁が認定する「消防庁(ゴールド)認定事業所」の2種類あります。

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学生消防団員活躍中!

近年、消防団員が減少し、平均年齢の上昇が進む中、大学生・専門学生等、若い力の消防団活動への参加が強く期待されています。
そんな中、各地で大学生、専門学生等を消防団員として採用しようという動きが広まりをみせており、平成23年4月1日現在(岩手県、宮城県、福島県は平成22年4月1日現在)で2,056人の学生団員が活躍しています。

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女性のチカラを消防団に

消防団の活動には、女性ならではの活動も多く、たくさんの女性団員が活躍しています。
働いている方も、学生の方も、主婦の方も、多くの女性のチカラが消防団で輝いています。
2つの顔を持つことで一層魅力的に輝く、女性消防団員をご紹介します。

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諫早市

諫早市の災害の歴史


 長崎県が、常に台風の影響又は被害を受けてきたことは過去の災害をさかのぼれば明白であるが、諫早市もまた、この難を避けることが出来ない宿命に置かれている。
 いわゆる干拓によってできた平野は、水面よりも低位置にあるため高潮、津波を警戒しなければならず、一方、北に多良岳をもつ集落は小河川の氾濫と山津波を恐れなければならなかった。
 今、ここに昭和32年の7月の大水害を思い起す前に、もっと昔からの台風、大災害を振り返ってみよう。
 まず元禄12年(1699)の本明川の洪水では、溺死者487人を出し、人家田畑に大きな被害を与えている。
 享保5年(1720)夏の台風被害では、倒壊人家277戸、屋根を吹き飛ばされたもの1,565戸、倒木300本という被害を受け、同17年(1732)には、めい虫による大被害を受けたが餓死だけは免れている。
 その後、文化年間に3度の洪水、明治末年、大正初年にも豪雨におそわれ、昭和に至っては、定期便のように台風に見舞われた。その都度200?〜300?近くの豪雨も少なくない。
 このようにして、昭和32年の運命の7月25日が襲来したのである。
 昭和32年の年間雨量は、市内中央平たん部で1,800?である。この1/2の雨が7月25日を中心に24時間内に降ったのである。多良岳は各所に山崩れを起こし、支えきれぬ雨量は大小河川にあふれ、本明川になだれ込み、未曾有の大氾濫を起こし、一昼夜で、死者576人、行方不明者54人、重軽傷者1,547人を出した。
 人家、公共建物の被害を始め、農地、山林、道路、橋梁等の被害総額は98億1,134万円と計上されている。
 また、近年においても、昭和57年の長崎大水害、平成3年の台風19号、平成11年の集中豪雨などの数多くの被害に見舞われており、自然災害常襲地帯ともいえる地理的、地形的要因があるといっても過言ではない。
 なお、県下の穀倉地帯と呼ばれる諫早平野は、古来から代々に亘る干拓によって形成されたところであるが、この地帯を常におびやかしてきたものは、有明海の高潮である。一方南の橘湾沿岸においても常に高潮は警戒されている。  (※32年災害の死者数、被害額等については、諫早水害誌、5町郷土誌の集計による。)  

諫早市総務部総務課
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